最高裁判所HP 知的財産裁判例集より

廃墟写真事件(控訴審)

知財高裁平成23.5.10平成23(ネ)10010損害賠償等請求控訴事件PDF

知的財産高等裁判所第2部
裁判長裁判官 塩月秀平
裁判官      清水 節
裁判官      古谷健二郎

*裁判所サイト公表 2011.5.12
*キーワード:翻案権、アイデア・表現二分論、名誉棄損、一般不法行為

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■事案

廃墟を撮影した写真の類否が争点となった事案の控訴審

原告(控訴人) :写真家
被告(被控訴人):写真家

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■結論

控訴棄却

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■争点

条文 著作権法27条、2条1項1号、民法709条

1 翻案権侵害を中心とする著作権侵害の有無について
2 名誉毀損の成否について
3 法的保護に値する利益侵害について

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■事案の概要

『1 控訴人(原告)は,「廃墟」を被写体とする写真(いわゆる「廃墟写真」)を撮影する写真家であるが,被控訴人(被告)が控訴人撮影の原告各写真と同一の被写体を撮影して被告各写真を作成し,これを掲載した被告各書籍を出版及び頒布するなどした行為は,控訴人の有する原告各写真の著作物の著作権(翻案権,原著作物の著作権者としての複製権,譲渡権)及び著作者人格権(氏名表示権)を侵害する,あるいは,控訴人が「廃墟」を最初に被写体として取り上げた者と認識されることに伴って生じる法的保護に値する利益を侵害する,また,写真集「亡骸劇場」に記載された被控訴人の発言は控訴人の名誉を毀損するなどと主張して,被控訴人に対し,(1)著作権法112条1項,2項に基づく被告各書籍の増製及び頒布の差止め並びに一部廃棄,(2)著作権侵害,著作者人格権侵害,名誉毀損及び法的保護に値する利益の侵害の不法行為による損害賠償,(3)著作権法115条及び民法723条に基づく名誉回復等の措置としての謝罪広告を求めた。
2 原判決は,著作権侵害の主張については,被告写真1〜5から原告写真1〜5の表現上の本質的な特徴を直接感得することができないとして,被告写真1〜5が原告写真1〜5の翻案物であることを否定し,これによりその他の著作権侵害も成立しないとし,名誉毀損の不法行為については,名誉を毀損する事実の摘示がないとして否定し,法的保護に値する利益の侵害の不法行為についても,「廃墟」を最初に被写体として取り上げた者と認識されることによる営業上の利益は,法的保護に値する利益とはいえないなどとして否定し,控訴人の請求をいずれも棄却した。』
(2頁)

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■判決内容

<争点>

1 翻案権侵害を中心とする著作権侵害の有無について

写真における翻案の意義について、控訴審裁判所は、翻案の意義に関する江差追分事件最高裁判決の判断が本件の写真の著作物についても基本的に当てはまるとしたうえで、

『本件の原告写真1〜5は,被写体が既存の廃墟建造物であって,撮影者が意図的に被写体を配置したり,撮影対象物を自ら付加したものでないから,撮影対象自体をもって表現上の本質的な特徴があるとすることはできず,撮影時季,撮影角度,色合い,画角などの表現手法に,表現上の本質的な特徴があると予想される。』と説示。

そのうえで、原告と被告の各写真を検討し、被告写真5点はいずれも原告写真の翻案であると認めていません(5頁以下)。

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2 名誉毀損の成否について

原判決の判断を維持しており、被告の発言について名誉毀損の成立を否定してます(6頁)。

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3 法的保護に値する利益侵害について

廃墟を作品写真として取り上げた先駆者として世間に認知されることによって派生する営業上の諸利益が法的に保護されるかどうかについて、

『廃墟写真を作品として取り上げることは写真家としての構想であり,控訴人がその先駆者であるか否かは別としても,廃墟が既存の建築物である以上,撮影することが自由な廃墟を撮影する写真に対する法的保護は,著作権及び著作者人格権を超えて認めることは原則としてできないというべきである』(7頁)

としたうえで、原判決の判断の通り、『「廃墟」の被写体としての性質,控訴人が主張する利益の内容,これを保護した場合の不都合等,本件事案に表れた諸事情を勘案することにより,本件においては,控訴人主張の不法行為は成立しない』と判断しています。

結論として、原審同様、控訴審でも原告の主張は認められませんでした。

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■コメント

原告側は、「廃墟写真」の写真ジャンルでの本質的特徴は、被写体及び構図ないし撮影方向にあるのであって、撮影に用いたフィルムやカメラのサイズ、カラーか白黒か、印刷の色付けの方法等はいわば味付け部分であって本質的要素ではないとまで、控訴審では言い切っています。その論拠として、デジタル時代の写真技術などをあげていますが(3頁参照)、デジタル技術のことをいってしまえば、構図や撮影方向でさえいくらでも修正可能で、残る本質的要素は被写体の選択しかないことになります。
風景写真(絵画的写真)と報道写真における色の意味合いの違いなども含め、写真美術論にまで踏み込んだ議論の展開が期待されましたが、その部分は判決文には表れておらず残念なところです。

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■過去のブログ記事

2011年1月10日記事
廃墟写真事件(原審)

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■追記(2011.5.17)

廃墟写真事件については、写真家や写真エージェントさんの他にイラストレーターさんや版画家さん、工芸作家さんなどにも感想を聞いてみました。
イラストレーターや版画家、工芸作家のみなさんとわたしとでは、どうにも議論がかみ合いませんでしたが、モノを創作するクリエイターとの違いを思い知らされました。

以下は、ある知人の工芸作家さんとのやりとりの抜粋です。


>色は本質的部分になると思うのですが。

モノクロかカラーかというのは現し方の要素のひとつでしかなくて写真(作品)の本質部分というのはそういったこととは違うものだと思います。

写真は、被写体があってそれを写してという行為なので分かりずらいかもしれませんが美術の作品(音楽でもそうかな)は見えない(聞こえない)ものを見えるもの(聞こえるもの)に作り上げる作業です。

本質というのは、その見えない部分のこと。

写真家であれば、その被写体に接してそこからインスピレーション(という言い方が適当かどうか分かりませんが)を得てそれ(得たインスピレーション)を表現するために撮影するという手段を使うわけです。


あるいは、何か表現したいものが自分の内側にあり、ある被写体に接した時、自分の中の何かとその被写体が共鳴して、この被写体で自分の中にあったイメージを表現しようとなるわけです。

要するに、その被写体を使って何を引き出すかで、その「何」が本質で重要な部分なのだと思います。

そのイメージを具体的にどうやって形にしていくかという作業工程の中で、どのアングルを選ぶか、白黒にするかカラーにするか、そういった選択が出てきます。
自分が表現したいもの(イメージとして持っているもの)をより効果的に表現するためには、どうすればよいかとの選択の結果にすぎないわけ。

またもし、モノクロのフィルムしか手元になかったとしても、自分と共鳴する被写体に出会って、今しか撮れないとなれば、本当はカラーで撮りたかったとしても、モノクロで十分に作品として成立するものが撮れるということなのだと思います。

作品として完成したものが提示された時、そこから表面的に表現として現れているものだけを読み取るかその作品の裏にある作者の内側を読み解く(あるいは、感じ取る)かの違いなのかもしれません。
後者の見方は、実際に自分も作っている人でないと見えずらい部分ではあるかも知れません。

自分もちょこっと作る側にいる人間の目で見ると被告の写真は、目に表現だけで成り立っていて、その後ろにある「これを表現したかった!」という作家自身の中にあるイメージが見えてこないで、なんとなく漠然と原告と同じような場所を同じようなアングルで撮っているように見えてしまうのです。

イラストレータさんも版画家さんもそうだと思うのですが、彼女達や私が言う「似ている」というのは、「本質的な部分が似ている」ではなくて、その部分が抜けているので、見える形での表現だけ模倣してあるように見えて「似ている」となるのだと思います。


>サルガドがどうしてここではカラーで、ここではモノクロで、ジャンルーシーフはどうしてカラーを選択するのか・・・

それは、本人にしか分からない部分なのかもしれません。

私も同じモチーフで金属と木という選択がありますが、同じモチーフを作ってもその中に何を見出し、自分の中の何を作りたいのかによって、金属と木のどちらがそれにより適した素材かという選択になります。

黒にしたかった場合、黒檀でも、ほかの素材を黒く染めても、そこから感じ取れる質感や印象は違ってきます。
また、作り手としては、彫りながらの感触なども違ってきます。
どちらが、より、その時の自分の作品に対する向い方に合っているか・・・、もう、そうなると第三者が立ち入る余地はなくなるかもしれませんね。


>残念ながら、著作権法は、「表現された部分」で議論をしなくてはいけないために、わたしもそこにひっぱられているのかもしれません。

法律は、それでいいのかもしれませんね。
どこかで線を引かなくてはならないわけで、そこが「見える部分」とか「金銭的な利害関係の部分」とか、第三者が見ても、公平と思える部分での判断をするのが法律の仕事なのだと思います。

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■追記(2011.5.22)

被告プレスリリース(2011年5月19日)
写真家小林伸一郎 オフィシャル ブログ 写真著作権等 控訴審 勝訴のご報告
PDF(2011年5月17日付)