父から読んでみろといわれて読んでみたのが上下二冊の本書。
フジサンケイグループについて書かれたもの。
私はベルリンの壁崩壊前後に産経新聞の編集管理部でアルバイトをしていたので、
鹿内信隆議長の写真が額に入って飾られていたりと当時の産経ビルの雰囲気を
知っていますが、その後ドラスティックな鹿内宏明氏の解任劇が行われるとは
毛ほどにも思いませんでした。
さて、テレビ朝日開局一期生の父にとっては本書は面白くて仕方がないようです。
父の記憶によるとフジテレビが放送開始したのは59年3月。
テレビ朝日(当時は日本教育テレビ(NET)といっていました)は4月放送開始
(テレ朝の沿革史を見ると2月放送開始)と1ヶ月遅れてはいたが、
教育放送の免許のみ認められたNETのほうが一般放送の免許を受けた
フジテレビより当初は元気であったといいます。
各局スタートしてTBSは「ドラマ」、NTVは「プロ野球」というイメージを
構築しており、今と違ってフジはこれといったイメージはなかったそうです。
NETは開局3ヵ月後には槍ヶ岳からの実況中継を初めて行い夏山山頂からの大観を
実現。続けて冬には雪男学術調査隊で海外ドキュメンタリーの第一号を製作。
その後4年にわたり山の中継は続いたといいます(実況中継3回、
ドキュメンタリーフィルム製作4回)。
この中継要員には明治、早稲田、立教の山岳部OBが中心となっていたそうです。
こうしたことからNETに対しては「山」のイメージができたといいます。
はじめの槍ヶ岳中継の際には、上高地に入るためには釜トンネルを通る
必要があるが、当時中継車が通る幅がなかったことから六本木の社の前で
中継車を分解、放送機材のみ大型トラックに積載。釜トンネルの手前でさらに
小型トラックに積み替えてあとは上高地に搬送。
その後はボッカ(荷揚げ要員)が機材を運び、槍の肩の小屋の脇に中継所を
設置するというチカラ技をこなしたというはなし。
開局後14年間に渡って「教育放送」免許のみという営業的なハンデを負わざるを
得なかったNETですが、TV放送黎明期の番組制作に対する関係者の
「新しいものの創造への熱意」が伝わってきます。
TV局開設当初は映画業界と大きな軋轢があったわけですが、
いまは「放送と通信の融合」という形に変えて新しいメディア(ネット)が既存のメディアと
軋轢を生じさせています。
いずれにしろ決してカネで経営権を買収すればOKということではないということ。
モノ作り、創造への情熱だけが真に価値あるものとして後世に残されていくのでしょう。
と、はなしがあちこちに飛びましたが、本書はとても面白くて
私にとっては今年一年ではイチオシの書籍となりました。
メディアの支配者 上
フジサンケイグループについて書かれたもの。
私はベルリンの壁崩壊前後に産経新聞の編集管理部でアルバイトをしていたので、
鹿内信隆議長の写真が額に入って飾られていたりと当時の産経ビルの雰囲気を
知っていますが、その後ドラスティックな鹿内宏明氏の解任劇が行われるとは
毛ほどにも思いませんでした。
さて、テレビ朝日開局一期生の父にとっては本書は面白くて仕方がないようです。
父の記憶によるとフジテレビが放送開始したのは59年3月。
テレビ朝日(当時は日本教育テレビ(NET)といっていました)は4月放送開始
(テレ朝の沿革史を見ると2月放送開始)と1ヶ月遅れてはいたが、
教育放送の免許のみ認められたNETのほうが一般放送の免許を受けた
フジテレビより当初は元気であったといいます。
各局スタートしてTBSは「ドラマ」、NTVは「プロ野球」というイメージを
構築しており、今と違ってフジはこれといったイメージはなかったそうです。
NETは開局3ヵ月後には槍ヶ岳からの実況中継を初めて行い夏山山頂からの大観を
実現。続けて冬には雪男学術調査隊で海外ドキュメンタリーの第一号を製作。
その後4年にわたり山の中継は続いたといいます(実況中継3回、
ドキュメンタリーフィルム製作4回)。
この中継要員には明治、早稲田、立教の山岳部OBが中心となっていたそうです。
こうしたことからNETに対しては「山」のイメージができたといいます。
はじめの槍ヶ岳中継の際には、上高地に入るためには釜トンネルを通る
必要があるが、当時中継車が通る幅がなかったことから六本木の社の前で
中継車を分解、放送機材のみ大型トラックに積載。釜トンネルの手前でさらに
小型トラックに積み替えてあとは上高地に搬送。
その後はボッカ(荷揚げ要員)が機材を運び、槍の肩の小屋の脇に中継所を
設置するというチカラ技をこなしたというはなし。
開局後14年間に渡って「教育放送」免許のみという営業的なハンデを負わざるを
得なかったNETですが、TV放送黎明期の番組制作に対する関係者の
「新しいものの創造への熱意」が伝わってきます。
TV局開設当初は映画業界と大きな軋轢があったわけですが、
いまは「放送と通信の融合」という形に変えて新しいメディア(ネット)が既存のメディアと
軋轢を生じさせています。
いずれにしろ決してカネで経営権を買収すればOKということではないということ。
モノ作り、創造への情熱だけが真に価値あるものとして後世に残されていくのでしょう。
と、はなしがあちこちに飛びましたが、本書はとても面白くて
私にとっては今年一年ではイチオシの書籍となりました。

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