最高裁判所HP 知的財産裁判例集より

脳機能画像解析学術論文事件

東京地裁平成21.11.27平成18(ワ)2591著作権侵害確認等請求事件PDF

東京地方裁判所民事第46部
裁判長裁判官 大鷹一郎
裁判官      大西勝滋
裁判官      関根澄子

*裁判所サイト公表 09/12/25
*キーワード:共同著作物、複製権、公表権、権利の濫用、アカデミックハラスメント、名誉回復措置

   --------------------

■事案

未公表の学術論文の共同著作物性や複製権、同一性保持権、公表権などの侵害性が争点となった事案

原告:研究者
被告:研究者

   --------------------

■結論

請求一部認容

   --------------------

■争点

条文 著作権法2条1項12号、21条、27条、18条、20条、114条、115条、117条、民法1条3項

1 第1論文の共同著作物性
2 複製権及び翻案権侵害の有無
3 同一性保持権及び公表権侵害の有無
4 第2論文の撤回通知請求の可否
5 損害額
6 権利の濫用の成否

   --------------------

■判決内容

<経緯>

H9.4   「PETおよびfMRIによる言語機構の解析」研究プロジェクト実施
       (原告:プロジェクトリーター、被告:協力者)
H11.10  原被告連名「日本語における音素-書記素変換に関する機能的
       磁気共鳴画像(fMRI)」研究発表
H12.2   原告が被告に第1論文に係る実験の研究結果論文作成を指示
H12.10   被告が原告に原稿(甲28:第1論文の初期原稿)提出
H13.2.9  被告が原告に博士論文計画提出
H13.3.12 原告がHBM誌に論文発表
H13.6   被告が原告に修正原稿を提出
H13.6.25 被告が原告に再修正原稿を提出
H14.2   被告が博士論文提出
H14.4   研究プロジェクト報告書刊行
H14.6.4  学術研究会で原被告連名でポスター発表
H14.8.30 第1論文完成、未公表
H15.12.15 被告らが第2論文をニューロレポート誌に投稿
H16.4.29 第2論文がニューロレポート誌に掲載
H17.2.8  原告が被告に第2論文掲載削除要求
H17.2.25 被告が原告に回答
H18.2.9  原告が被告ほか共同執筆者B、C、D、Aに対して訴訟提起
H20.3.10 被告以外の者と訴訟上の和解成立

   --------------------

<争点>

1 第1論文の共同著作物性

原告と共同研究をしていた被告が、一連の研究の成果(未公表の第1論文 原告がコレスポンディングオーサー)の一部を原告に無断で学術誌に発表した(第2論文 被告がファーストオーサー兼コレスポンディングオーサー)として、第1論文に関する原告の著作権(複製権、翻案権)や著作者人格権(公表権、同一性保持権)の侵害性が争点となりました。

まず、第1論文(英文論文「音読と書き取りに共通する神経的相関についての機能的磁気共鳴画像研究」)の共同著作物性(著作権法2条1項12号)が争点となっています。

この点について、第1論文作成の経緯を検討のうえ、被告作成の原稿に対して原告が書き込みや口頭によって英語表現の訂正、付加、記述の順序、内容等について指示し、それを受けて被告が修正するなどしていたとして、結論として第1論文の原被告らによる共同著作物性が肯定されています(76頁以下)。

   ------------------

2 複製権及び翻案権侵害の有無

次に、第2論文(英文論文「音素から書記素への変換に関する神経的相関」)が第1論文に依拠して無断複製されたものかどうかが争点となっています。

【1】複製権(21条)侵害性

(1)第1論文と第2論文との対比

両論文の研究目的や実験の前提、課題などを検討したうえで、実験手法の一部は共通するものの、研究目的、実験の前提となる仮定、実験の課題、実験結果、論文の結論が異なるとして、両論文は研究内容を異にすると判断されています(82頁以下)。

(2)類似部分の創作性について

両論文には、類似表現が存在することから、その類似部分の表現の創作性が章毎に検討されています(87頁以下)。

1.「Abstract」
論文要旨を記載する項目であり執筆者の自由度が高く表現の幅が相当程度ある。別紙対比表1の2ないし4の表現は創作性を有する。

2.「Introduction」
別紙対比表1の類似部分は専門用語や一般的な表現などであって、表現の創作性は認められない。

3.「Materials and Methods」
別紙対比表1の表現の類似部分について、課題の実施方法やデータ取得の方法、データ分析の機器などの内容が共通し、その表現が類似するものの著作権法による保護の対象とはならない事実又はアイデアに属するものとして創作性を有しない。

4.「Discussion」
研究結果に基づいて結論に至ったプロセスを論証し考察する項目に関して、別紙対比表2のcないし1の表現の類似部分について、創作性がある。

(3)依拠性について

被告が第1論文の初期原稿を作成した経緯や両論文の対比から、被告が第1論文に依拠して第2論文を作成したと認定されています(98頁以下)。

(4)結論

結論として、創作性を有する表現の類似部分について複製権侵害性が肯定されています。

   ------------------

【2】翻案権(27条)侵害性

原告は、第2論文は第1論文を全体として翻案したものであると主張しました。
しかし、裁判所は、第2論文の類似部分から第1論文全体の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないとして、原告の主張を容れていません(99頁以下)。

   ------------------

3 同一性保持権及び公表権侵害の有無

(1)同一性保持権(20条)侵害性

複製権侵害が肯定される部分について、被告は第1論文の共同著作者である原告の同意を得ずに第1論文の表現を一部改変しているとして、被告の第2論文の作成、発表が原告の同一性保持権を侵害すると判断されています(100頁以下)。

(2)公表権(18条)侵害性

未公表の第1論文の一部について、原告の同意を得ずに第2論文で複製の上公表しているとして、原告の公表権を侵害すると判断されています(101頁)。

   ------------------

4 第2論文の撤回通知請求の可否

(1)112条の規定による請求

侵害停止措置として学術雑誌から第2論文の掲載撤回を出版社へ通知するよう原告は被告に求めました。
しかし、裁判所は、雑誌掲載の時点で被告による侵害行為は終了していること、また、第2論文の著作権は出版社に譲渡されている点から、著作権法112条1項2項いずれにも該当しないとして原告の主張を容れていません(101頁以下)。

(2)115条の規定による請求

原告は、名誉声望回復措置(115条)として掲載撤回通知を出版社へ出すよう被告に求めました。
しかし、裁判所は、第2論文掲載によって原告が社会から受ける客観的な評価の低下を来して名誉・声望が毀損されたものとまではいえないなどとして、原告の主張を容れていません(102頁以下)。

   ------------------

5 損害額

著作者人格権(同一性保持権、公表権)侵害による慰謝料として30万円、複製権、著作者人格権侵害行為と相当因果関係のある弁護士費用10万円の合計40万円が損害額として認定されています(104頁)。

   ------------------

6 権利の濫用の成否

被告は、原告が第1論文の公表に同意しなかった点や本件訴訟がアカデミック・ハラスメントの延長線上にあるとして、原告の第1論文に関する著作権、著作者人格権の行使としての本件請求が権利の濫用(民法1条3項)にあたると主張しましたが、裁判所は認めていません(104頁以下)。

   --------------------

■コメント

高次脳機能研究(脳機能画像解析による言語機能研究)分野で指導教官が弟子を訴えた事案です。
被告は大学院博士課程では原告の研究室に所属しており、原告がプロジェクトリーダーだった研究では研究協力者として研究に参画していました。

論文作成にあたってメールでのやりとりに不備があって意思疎通に欠ける場面があったり(75頁)したようではありますが、アカデミックハラスメントといえる状況での原告による被告の研究への不当干渉があったとは認められていません(105頁以下)。

指導教官としては、弟子が別の研究グループでファーストオーサー兼コレスポンディングオーサー(第1著者兼文責著者)として公表した第2論文について、自己の名前が挙げられなかったことからいわば「研究手法の盗用」との意識を強く持ったものと思われます(62頁以下)。

訴訟を受けて立つ被告側も「(原告は)実質的には何ら指導らしい指導を行わなかった」(10頁)、「(原告は)第2論文の具体的内容ではなく,自己が開拓してきた分野に他のグループが参加することに対して不快感を強く持ち,自己の関与しない第2論文が公表・掲載されていることが意に沿わないのである」(61頁)と徹底的な指導教官非難となっており、研究上の応酬ではなくて何とも残念な事態です。

   --------------------

■過去のブログ記事

最近の学術論文に関連する紛争について、
共同執筆論文事件(2007年1月20日記事)
東京地裁平成19.1.18平成18(ワ)10367著作権侵害差止等請求事件
学位請求論文事件(2009年7月10日記事)
東京地裁平成21.6.25平成19(ワ)13505著作権侵害差止等請求事件

   --------------------

■参考判例

脳波数理解析論文事件(野川グループ事件)
京都地裁平成2.11.28昭和60(ワ)2140損害賠償等請求事件
大阪高裁平成6.2.25平成2(ネ)2615損害賠償等請求控訴事件
地質学共同著作物事件
東京高裁平成14.11.14平成12(ネ)5964文書発行差止等,著作権侵害排除等請求控訴事件
薬理学共同研究事件
大阪地裁平成16.11.4平成15(ワ)6252損害賠償等請求事件
大阪高裁平成17.4.28平成16(ネ)3684損害賠償等請求控訴事件
工学博士学位取消請求事件
知財高裁平成17.5.25平成17(ネ)10038著作権侵害差止等請求控訴事件

   --------------------

■参考文献

渋谷達紀「自然科学上の法則-「発光ダイオード論文」事件」『著作権判例百選第一版』(1987)10頁以下
小泉直樹「共同研究と共有著作-野川グループ事件」『著作権判例百選第二版』(1994)118頁以下
小泉直樹「共同研究-野川グループ事件」『著作権判例百選第三版』(2001)94頁以下
上野達弘「表現とアイデア 脳波数理解析論文事件:控訴審」『著作権判例百選第四版』(2009)4頁以下

   --------------------

■参考サイト

研究プロジェクト:「PETおよびfMRIによる言語機構の解析」
平成13年度日本学術振興会未来開拓学術研究推進事業研究成果報告書概要