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2009年06月20日

加藤慶信追悼展(南アルプス芦安山岳館 記:大塚博美20090620)

加藤慶信追悼展 オープニングセレモニー

2009年6月20日 於 南アルプス芦安山岳館
主催 南アルプス芦安山岳館・明治大学
共催 山梨日日新聞社・山梨放送 山梨県山岳連盟
後援 甲府支局メディア各社、その他

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 『あいさつ』  元日本山岳会会長 大塚博美

 ご案内の企画展が、主催者・共催者・後援者関係者各位のご努力によつてこのたび開会の運びとなりました事は、真にご同慶のいたりに存じ上げます。

 ただ今ご紹介頂きましたように、私は明治大学山岳部OBの炉辺会員でもありますので、加藤慶信君より半世紀余りの先輩となりますので、さすがに山行を共にしたことはありませんが、2007年の夏、富士山の本7合の鳥居荘の前で後輩の同伴サポーター2人と休んでいるとき、大勢の団体の中で小学生2人に付き添っている加藤君を偶然みつけて、“あっ、加藤だ”と同伴者の菅原君の声に顔を見合わせ、お互い奇遇にびっくりしたことがありました。彼の腕には案内人組合の腕章がありました。

 その時に加藤君は、既に80006座に登頂している若手のホープでした。少しでも恩返しにと故郷の富士登山のお手伝いをしていると聞きました。清々しい爽やかなオーラが匂いたつ面影を昨日のように追憶します。

 ヒマラヤ8000段の天空の頂をめざして、己の信じるところにベストをつくして登攀するのが、かれの信条であったのではないでしょうか。

 翻ってみれば、今の大学山岳部の凋落は最早なす術もないほどの低調さであり、部員の減少はまだしも休部・廃部に追い込まれた大学もあるくらいと聞いております。

 加藤慶信君の母校の明治大学山岳部はこんな学生登山界のなかにあって、常に独自な新たなる目標をかかげ、アルピニズムへの挑戦を伝統として継承している稀有の存在であり、“強い明治”のシンボルは驚きと尊敬の念の他ありません。

 伺えば明治も他の大学山岳部と同じような多くの困難、休部の障碍などがありましたが、強力なOB会の指導で立ち直つたようです。

 また大学創立100年・120周年記念のヒマラヤ登山計画の実施に際しては、大学当局のご理解と強いご支援を得て、それをバネに今日に及んでいると伺いました。なんとも羨ましい次第であります。

 その成果の一つに『明治大学創立120周年記念事業・ドリームプロジェクト(800014座登頂計画)』の無事故で完結したことがあります。

 これは世界初の偉業といえましょう。

 また谷山宏典会員の手記による臨場感溢れた『登頂8000叩縮声B膤愡崖拮14座完登の軌跡』の著書があり、これを実証しております。

 加藤慶信君は現役時代にこの計画に参加し、まず第一歩を1997年マナスル(8163)の頂に足跡を残しました。以降6年間このプロジェクトの実施の若手のエースの一人として全身全霊をこれに傾注したとうかがっております。

 現在、3年後に迎える明治大学山岳部創部90周年の登山計画が検討中と聞きましたが、多分それには加藤慶信君の霊に答えるに相応しい、自由と創造性に満ちたものではないかと推測いたします。そしてそれは南アルプス芦安山岳館にとつて、今回の企画展を継ぐにふさわしい内容であることを信じております。

 加藤慶信君の追悼展のご成功を祈ってわたくしの挨拶を終わります。

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written by ootsukahoumu at 17:56│TrackBack(0)山あれこれ 

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