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2009年03月20日

わたしのテレビ朝日(NET:日本教育テレビ)就職当時のころ(昭和33年):大塚博美

昭和23年明治大学卒業。山三昧。マナスル登山隊に参加。
マナスル登山第三次が昭和31年(1956年)成功。
読売放送にも就職の働きかけをしたが、白馬二重遭難が1957年3月にあり、就職を遅らせる。
昭和33年(1958年)暮れに、日本山岳会会長だった松方三郎さんに就職先の斡旋を依頼。

当時、共同通信社にいた松方三郎さんを訪問。

大塚「白馬遭難の報告書もできまして、一段落しました。
   テレビ局に就職したいのですが

松方「よしわかった

と、その場で松方さんは日本教育テレビ:NET(現テレビ朝日)開局準備室の松岡謙一郎さんに電話を掛ける。

謙ちゃん、テレビにはフィールドワークができる人材が必要だよ

その当時、松方さんは電波監理審議会会長であったことはあとで知る。

5人が面接に立ち会う。
場所は新橋に3ヶ月ほどあった日本教育テレビ局開設準備事務所。


編集局長 松岡さん
旺文社  赤尾好夫さん
東映    二所宮専務
文化放送
朝日新聞

松方さんの登山に関する事前説明に対して、二所宮さんがわたしに、笑って

それじゃ、キミ、ニコヨンとかわりないじゃないか

即決。


年を越して、新卒が入ってくる。かれらより10歳年上なので兄貴格で立ち回る。
新卒は40名入社。うち編成局所属の10名の新卒者を引き連れて麹町の日本テレビで研修。

その後、わたしは大阪の読売テレビへ1ヶ月研修へ。
会社の旅費規程も当時なくて、旅費もなにも出ず。帽子が回ってカンパもらうという、いまでは笑い話も。

昭和34年4月本放送開始。開始直後槍ヶ岳夏山実況中継(7月)。テレビ界初の山からの実況生中継となる。
山のメンバーをピックアップ編成。
中尾(明治)、菅原(明治)、小倉(早稲田)、堀口(立教)、友田(津田塾)という布陣。
中京テレビから技術協力を得る(中京テレビしか持っていなかった、箱形ハンディのアメリカ製小型カメラの提供)。

槍ヶ岳山頂の大観
小槍のロッククライミング

その年の冬、雪男学術探検隊(小川鼎三隊長、林寿郎東大教授、山崎英雄札幌医大)の記録を13回にわたって放送。
エベレスト東面をカラパタールから日本人初の写真を撮影。

夏山放送は、昭和34年に続いて35年(奥穂高サマースキー)、36年(谷川岳ロッククライミング)を実況中継。
営業から「売れない」と泣きが入って、37年(立山のボッカ)はフィルム構成。

松方三郎さんとのかかわりは、1970年のエベレスト登山へと繋がる。
1970年登山は、NHKの放送なので登山隊参加のため辞表を総務に出す。総務はあっさり受理。
しかし、松岡さんが「オールジャパンのメンバーなんだから」として、却下。クビがつながる。


大塚博美
written by ootsukahoumu at 08:55│TrackBack(0)山あれこれ 

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