1950年ネパールが国をオープンにしたことをきっかけに(社)日本山岳会はヒマラヤ未踏峰マナスル(8136m)の世界初登頂を計画。
52年に偵察隊を出し、53年第一次本隊、
54年第二次本隊(サマ部落事件で頓挫)。
1年を置いて56年、第三次本隊により登頂成功へとつながります。
マナスル登頂から半世紀。
54,56年本隊に隊員として参加した私の父も
すでに80の年齢をこえています。
ところで、マナスル登山の総事業費は1億円。
そのうち政府関係機関からは575万円の補助金、
毎日新聞関係1650万円、
募金7500万円など。
戦後10年ほどの時期にこうした壮挙を成し遂げたことで、
当時かなりのインパクトを世間に与えたようですが、
総事業費のうち一般募金が多くを占めていることからしても
初登頂に対する人々の期待、夢への想いの強さが
伝わってきます。
ちなみにマナスル初登頂当時の物価は
新大卒月給6〜9000円、コーヒー1杯30円、
為替レート1ドル:360〜400円(ヤミ)となっています。
((社)日本山岳会編「中国・日本・ネパール1988年
チョモランマ/サガルマタ友好登山 報告書」(1990年)より)
(社)日本山岳会のマナスル登頂50周年記念行事としては、
フォーラムやシンポジウムを開催、
ネパールトレッキングも予定(秋期)されています。
現在、「祝マナスル登頂50周年 藤田弘基写真展 マナスルを巡る」
新宿のペンタックスフォーラムで開催中(5月18日まで)。
ペンタックスフォーラム